2010年01月18日(月)
中日新聞に掲載されました [出来事]
1月18日(月)中日新聞の夕刊に、当店店主であった磯村一男の記事が掲載されました。記事内容を転載させていただきます。
山車の技 世界発信
仲間の遺志 胸に秘め
名古屋市内の若手仏具職人らが、戦災で焼失した中区門前町の山車をモデルに新たな山車の制作に挑戦している。技術の粋を凝らし、五月に始まる上海万博へ出品する計画だ。山車文化を継承しようと手弁当で頑張るメンバーの背中を押すのは、一人の仲間の死。プロジェクトの発起人で、挑戦を引っ張ってきた磯村一男さん=当時(四四)=が昨年六月、自宅での転落事故で他界。仲間たちは「遺志を継ごう」と誓いを新たにしている。
名古屋の仏具職人ら 制作挑戦、万博出品へ
名古屋の仏具は、江戸時代から木材の集積地だったことを背景に下級武士の副業などとして発展。全国の仏具製品の半数以上が名古屋で生産される。だが、安価な海外製品の流入で売れ行きは落ち、後継者不足が深刻になっている。
そんな苦境から何とか抜け出そうと努力していたのが磯村さんだった。百年前に創業した刺しゅう職人の三代目。「山車や寺社用具などを扱う職人たちが持つ技術を結集して、もう一度立ち上がりたい」。酔うと妻知寿子さん(四九)に熱く語り続けた。
戦災で焼失した山車を復活させようと、同級生だった装飾金具職人の野依克彦さん(四三)を訪ねたのが二〇〇八年十一月。若手職人らでつくる「名古屋仏具研究会」として、復元にとどまらない新たな山車の制作に取り掛かった。
大きさは二分の一サイズの高さ三b。職人たちは山車を部分的に修理することはあっても、一からつくるのは初めて。木地職人の吉岡清量さん(四〇)は「据え置きの仏壇と違い、くぎも接着剤も使わない。しかも動かす。より精度を試されている」と、制作の難しさを語る。
「各地の祭りに参加し、子どもが身近に山車に触れられるように」(野依さん)と願い、「童子車(どうじしゃ)」と名付けた。山車に取り付ける幕に描く刺しゅうのデザインは、道半ばで逝った夫の代わりに知寿子さんが担当する。
万博日本館でのお披露目は八月の名古屋市イベントステージだ。「磯村がいなければ、山車をつくるなんて大きな挑戦はしなかった。挑戦を業界復活のきっかけにし、彼の思いを万博に届けたい」。野依さんら職人たちは腕をふるう。
Posted by 磯村打敷店 at 21時47分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2009年04月17日(金)
寺院用打敷 [打敷]
寺院用刺繍打敷。いろいろな図案がございますが、ここ最近繍わさせていただきました打敷を御紹介させていただきます。
Posted by 磯村打敷店 at 21時27分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
2008年11月30日(日)
尾張旭 棒の手 50周年記念大会 [風切(かたきり)]
平成20年11月30日(日)、尾張旭市文化会館にて、尾張旭市の棒の手が、愛知県無形文化財に指定されて50年という機に、愛知県下棒の手の代表地区が尾張旭文化会館に集まり、棒の手の披露がおこなわれました。
わたくしも棒の手は、何度も尾張旭の祭礼のとき見に行った事はありましたが、愛知県下のいろいろな地区が一同に見られるという事で、とても楽しみに見させてもらいました。
棒の手は、一般的に棒や太刀(たち)でやりとりするのが基本なのですが、観衆に楽しませる様、真剣(しんけん)や傘、他色々な物で棒の手を演技して、とても見ごたえのある演技でした。この棒の手の集りを見させていただき、いろいろな流儀、型はあるにしても、棒の手を演ずる気魄、思いなどがズンズンと感じさせられました。
棒の手の衣装「風切」を作る職人として、誇りに思い、日々精進してまいりたく思います。
Posted by 磯村打敷店 at 19時00分 パーマリンク トラックバック ( 0 ) コメント ( 0 )
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